最強な姑(母)!
2010年 09月 04日
私にとって一番越えられない壁は、
日本の文化、習慣でもない、
社会でもない。
それは何だと言うと
我が家の母(姑)であります。
特に、最近になってつくづくと思います。
母は戦時中
両親とともにハルピンに渡り、
5年後に日本に引き上げてきましたが、
戦後、大変貧しい少女時代を過ごしました。
当時は生きていくためには
まずは手に職をということで
優秀な高校を卒業したのに、
大学に行くことを諦め、
洋裁学校に進みました。
花嫁修業として
調理師学校にも入り、
なんと首席で卒業しました。
ですから、母の作る料理は
本当においしいです。
そして、結婚後、育児しながら、
自宅で洋裁教室をしていたそうです。
私が日本に来たときは
すでにある会社の部長として、
店長も務めていました。
デザインを勉強したおかげでしょうか、
絵を描かせるとプロ級!本当に!!
また華道(未生流)の免許も持っています。
私がいつも遠方の講演会やコンサートで
頂いた花束は母の手により生き返り、
我が家の隅々で咲き誇っています。
50年以上ファッション関係に携わってきたため
おしゃれは人一倍です。
朝起きると、
食事よりもお化粧です。
「誰も見てないし、誰も見ないよ!」と
たまにいじわるを言うと、
「関係ない!それは私が元気っていう証拠だよ」って!!
一緒に出かけると
向こうはタレントのように華やかさで、
私はただ地味なマネージャーみたい。
そのうえ、車に関しても
車のランクも、運転技術も私より上!!
60歳から勉強しだしたコンピュータも、
いまではワードもエクセルも自在に操り、
私のレベルを遥かに超えてしまいました。
だけど、こんな状況にいる私でも
ひとつだけの自慢は持っていました。
それは音楽というか、歌をうたうことです。
いちおう歌手ですから。
例えば、日本人である母も知らない日本の歌を
私はすらすらと歌うことができます。
もちろん歌詞も完璧に。
しかし、しかし、ついにこれも危機に!
なんと昨年の5月から、72歳から!!
母はピアノを勉強し始めたのです。

それも今日の発表会を機に
73歳で!みごとに3曲を弾き、
舞台デビューを果たしたのです・・・
私は嫁として、
こんな最強な母(姑)を超えることは永遠にできないでしょう。
逆にいえば、母のような強い味方を持っている私は
本当に幸せです。
ですから、これからも、今まで通り
何があろうと、口答えをせず、反抗もせず、
幸せに生きいくための知識と知恵を
素直に仰いでいこうと思います。
今日を機に
我が家のお祭りは二つになりました。
息子の運動会と母の発表会!!