被災地を訪ねて
2011年 04月 25日
テレビで何度も何度も見たはずの映像なのに、
現場に立って見ると、何百倍もの凄まじさに圧倒されました。
頭は真っ白に、言葉も出なくなりました。
何世代、何十世代と、何百年もの歳月を経て、
涙と汗で、コツコツと築き上げた故郷の景色、思い出が
一瞬の間に、これほど悲惨に破壊されてしまうなんて!
地元の方々はどれほどショックだったことでしょう!
そのうえ、大切な大切な家族まで亡くしてしまうと、
生きる気力なんか湧いてくるわけがない。
その深い悲しみを思うだけで、
涙がボロボロと出てきました。
自然に合わせた手も、身体も震えが止まりませんでした。
ご自分の家があった跡地でしょうか、
一人のおじさんが一生懸命片付けをしていました。
とても声を掛けられませんでしたが、
遠くからじっと見守らせていただきました。
広大な瓦礫の中で、
我々人間の存在の小ささをあらためて感じました。
2回に亘り、お世話になった高澤先生と再会をしました。
「こんな惨状の中、よく助かりました!」と
泣きながらも、ほっとしました。
高澤先生は2年前のコンサートポスターも大事に持っていてくださいました。
「一ヶ月以上電気もガスもなく、そして節水節水して、
食べ物も古い順からひとつひとつ、大切に大切にいただいている。
ヤンジンさん、本当に生きる原点に戻ったよ!」という
先生のお言葉が、痛いほど心に染み込みました。
この先生のお寺は、今でも避難されている方々がいらっしゃいます。
「物資は、ここ1,2ヶ月は大丈夫だろう」とおっしゃっていましたが、
少しでも皆様の足しになればと
10万円と梅干少しをご寄付させていただきました。
お寺が全壊し、全てを津波に流されてしまった
もう一人の先生にも会いに行きました。
避難していたところは元々養護老人ホームで、
子供たちもいっぱいいました。
痩細ってしまった先生の姿にびっくりして、
なにひとつお言葉をお掛けすることができませんでした。
ただただ手を握って泣きました・・・
この先生に支援金として10万円と梅干をご寄付いたしました。
大阪の永田産業㈱様から預かってきたお菓子は
この避難所「高寿園」の理事長様にお渡ししました。
それから高澤先生のご紹介で、市立高田小学校を訪ねました。
始業式が終わったところでした。
津波は一階上まで押し寄せ、瓦礫が教室まで流れ込んだそうです。
お伺いしたときには、窓は修理され、教室も使えるようになっていました。
本当に大変だったと思います。
庭では何人かの子供さんが無邪気に遊んでいましたが、
なんとも言えない寂しさに包まれていました。
以前は目の前に大きな職業専門学校があり、
小学校からは海が見えなかったそうですが、
全てが流され、今では見えるようになりました。
「何人もの生徒を亡くしたうえ、
住む場所を無くした子供たちが
100人以上も転校してしまいました」と校長先生・・・
私達夫婦から20万円、義理の母から10万円、5歳の息子から1万円、
大阪の高田美和子様からお預かりしていた3万円、
計34万円を救援金としてお渡しいたしました。
「物資はいろいろと届いておりますが、
すべてを失った子供たちは
これからまずは文房具から、そして生活用品まで
ひとつひとつ揃えていかなければいけないので、
現金は本当にありがたいです」と
校長先生が涙を流しながら一生懸命お礼を言ってくださいました。
「子供たちが笑顔と元気を取り戻せるなら、
これ以上の幸せはありません」と
私も声を出して泣いてしまいました。
心優しい木下校長先生。たくさんの悲しみ、悩みを抱えておられるのに、
本当に優しく、紳士的に接してくださいました。
これからも長期的に
この学校の子供たちを支援していけるよう
頑張るぞと心から誓いました。
高澤先生にご案内いただいて、市内を再度見て回りました。
昨年講演したホテルも海に浸かっていました。
幸いにもホテル従業員の皆様はご無事とお聞きしています。
被害を受けた市役所
たくさんの方々が亡くなった体育館
運転していた方々はご無事だったのでしょうか。
直に見て、これほど悲惨な状態を知った以上は、
もっともっと支援をしなければならないと強く思いました。
最後に訪ねたのは、
陸前高田市のチベットと言われるほどの
山の中にあるお寺でした。
ここに今は避難されている方はいないのですが、
福井からのボランティアの方々が大勢身を寄せています。
地震のあった当日は
奥様は買い物のため街にいたそうですが、
あまりにも強い地震だったので、
津波が来るのではないかと思ったそうです。
お店の方は「大丈夫!津波はここまで来ないよ」と
おっしゃったそうですが、
それでもお寺が心配なので、急いで車に乗り、
途中渋滞に遭いながらも、普段通らない山道を回って、
ぎりぎり津波から逃れたのだそうです。
しかし、その後、その店のご主人様は遺体で見つかり、
奥様はいまだに行方不明だそうです。
防災意識は皆さんあったと思いますが、
ここまで巨大な津波が来るとは、
誰も予想できなかったでしょう。
奥さんの話によると、
2年前、私が初めて陸前高田市にお伺いした時、
控え室で接待係をしてくださったおふたりのうち、
おひとりが亡くなられたとのことでした。
本当にショックでした。
手を合わせ、心から深く深くお祈りを捧げました。
その公演会場だった市民会館も無残な姿に・・・
このような方のご家族や地域の方々に
少しでもご恩返しができればと
10万円と梅干をご寄付させていただきました。
体力だけは自信がある私と主人は
是非お手伝いしたいと軍手など作業の準備もしていきましたが、
まず社会福祉協議会などにボランティア登録をしてからでないと
難しいようで、結局労働奉仕はできませんでした。
このことは本当に心残りです。
5月7日、8日、福岡と久留米で
本来は四川、玉樹大地震のチャリティーコンサートを予定しておりましたが、
先日主催者と話し合い、
「東日本大震災支援チャリティーコンサート」とさせて頂くことになりました。
これからも私にできることは必ずあると思います。
魂を込めて一生懸命にさせていただきたいと思います。
最後に、被災地の詳しい地図を手書きで書いていただき、
いわて花巻空港に着いた日にも
差し入れを持ってきてくださいました照井良平先生、
2日間、車を運転してくださいました岩手旅行社の伊勢様に
心から御礼申し上げます。